2023/06/08 10:00

自分の父親、母親が生まれた頃の日本の様子を調べてみました。今年から来年古希を迎えるのは 1954年昭和29年生の方々です。


正直「還暦」60歳はまだまだ元気!若い!「人生50年」って時代からすれば随分年寄り、赤いちゃんちゃんこ着ていない、贈っていない私たち子供も多いのではないでしょうか。60歳の時にはいつも通りプレゼントと食事な方々も多いのではと思います。

還暦から10年、70歳の古希を迎えるともなるときちんとお祝いしようかなと思う子供世代も多いと思います。

戦後の第一次ブームに生まれた世代が来年に古希(70歳)を迎えます。
まず70歳をお祝いするにあたって70年前の日本はどのような様子だったのか、親世代が生まれて生きてきた世界を改めて調べて理解して70歳を祝いしようかなと思います。

=70年前=
「もはや戦後ではない」という言葉が象徴するように、日本経済は世界に
類を見ない加速度的なスピードで発展を遂げていきました。
人々はプロ野球や映画や漫画などの娯楽を楽しみ、これまでにない豊かさを実感していました。

1954(昭和29)年に第一次ベビーブームの子どもたち255万人が小学校に入学すると、月刊誌『小学一年生』の発行部数は過去最高を記録しました。
今も懐かしい「小学一年生」は1954年にはすでにあったのですね


ちなみに1954年生まれの芸能人・有名人は
・石田 純一 (いしだ じゅんいち)  俳優
・ルー大柴 (るー おおしば)    タレント
・松任谷 由実 (まつとうや ゆみ)  歌手
・古舘伊知郎
などなど私たちでも知っている著名人が多数いらっしゃいます

=1954年生まれの人は10歳の時に東京オリンピック開催経験=
1964年10月10日、秋空に航空自衛隊のブルーインパルスが五輪のエンブレムを描き、東京オリンピックが始まりました
今では忘れられている事かもしれませんが、今の代々木公園は
「旧日本軍の練兵場は米軍関係者の住宅」となっていました!
オリンピック直前に返還され、代々木公園は選手村となったそうです

東京オリンピックは日本の高度成長と国際社会への復帰をアピールするという事が目的でありその一大イベントに合わせて、東京の街は造り替えられ、新幹線やモノレール、首都高速道路が行き交う近代的な様相へと変貌。今の東京の原型が出来上がりました!!

2020年の東京オリンピックと合わせてお母さん達は人生二度も
東京オリンピックを経験したんですよね。一度目と二度目では東京の変貌ぶりは一度目(1964年)の頃が凄まじい変貌だったのではないだろうかと写真を見ても感じます


ちょうど日本が発展していく過程で10歳を迎えた東京オリンピックは母親達(女性)へかなりの刺激と生活の変化を考察しました

1.国際的な注目と認知度の向上: 東京オリンピックは日本にとって初めての夏季オリンピックとなり、世界中から注目を浴びました。これにより、日本の文化や技術、経済力などが世界に発信され、日本自体の認知度が向上しました。

2.都市の発展とインフラ整備: オリンピック開催に伴い、東京の都市インフラの整備や近代化が進みました。新たな競技施設や交通網の整備、ホテルやレストランの増加などが行われ、都市の発展と生活の利便性が向上しました。

3.経済成長と雇用の拡大: オリンピック開催に伴う建設や観光業の活性化は、経済成長と雇用の拡大をもたらしました。これにより、女性も職場での機会や選択肢が増え、経済的な自立やキャリア形成への道が広がったと言えます。

4.国民の結束と自己アイデンティティの強化: 東京オリンピックは日本人の誇りや国民意識を高めるきっかけとなりました。国内外からのアスリートや観客との交流、日本文化の紹介などが行われ、国民の結束や自己アイデンティティの強化に寄与しました。

5.スポーツへの関心と参加の促進: オリンピックの開催はスポーツへの関心を高め、多くの女性がスポーツ活動に参加する機会が増えました。スポーツイベントやクラブ活動の充実、女子スポーツの発展などが進み、女性の健康意識やアクティブなライフスタイルの普及に寄与しました。

ジュエリー春日のブログにも以前書きましたが、
日本での婚約指輪の歴史は浅く1960年代頃から結納品の一つとして贈られるようになったと言われています。時代的にも東京オリンピックの影響もあるのかもしれませんね。
当時はダイヤモンドではなく、ほとんどの人が真珠や誕生石で作られた指輪を贈っていました。

婚約指輪の起源についてのブログはこちら


=1974年(昭和49年)二十歳の頃=
・超能力ブーム ユリ・ゲラー氏来日(スプーン曲げ)
・長島茂男(巨人)現役引退
・東京国立博物館でモナ・リザ展開催
・ガッツ石松がボクシング世界チャンピオンに
・セブン-イレブン東京都江東区に第1号店を出店
・ハローキティ誕生
・佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞
・ベルばらブーム


母親達が20歳の頃、今では普通に誰もが知っているキティちゃん、ベルバラ、セブンイレブンが出来たようです。
セブン-イレブンと言えば、一号店はバラエティ番組などでたびたび取り上げられていて有名な「豊洲店」。一番最初に売れたのがサングラスだった―といったトリビアは有名ですね。では、2号店はどこなのだろか・・・と調べたところ、相模原市中央区相生4丁目。JR横浜線の淵野辺駅と矢部駅の間あたりから南西へ行ったところにあるセブンイレブン「相生店」です。沖縄にはずっとセブンイレブンは出店していなかったようですが、2019年に名前にちなんで7月11日に沖縄県に出店しました。

今では観光地として脚光を浴びている長崎の軍艦島の炭鉱が閉鎖で無人島になったのも1974年だったようです。


母親達の二十代の頃の日本の1974年の日本は、さまざまな文化的な発展が起こり、現在の日本に多くの影響を与えました。

マンガ・アニメの黄金時代:1974年は、マンガやアニメの黄金時代の幕開けとも言える時期でした。多くの人気作品が誕生し、その後の日本のマンガ・アニメ業界の発展に大きく寄与しました。代表的な作品としては、「巨人の星」や「キャンディ・キャンディ」などがあります。

キャラクターグッズのブーム:キティちゃんをはじめとするキャラクターグッズのブームが起こりました。キティちゃんを象徴とするキャラクターライセンスビジネスは、現在の日本のキャラクターグッズ市場の基礎を築きました。多くの可愛らしいキャラクターが誕生し、キャラクターグッズは日本のポップカルチャーの一部となりました。

テレビ番組の多様化:1974年はテレビ番組の多様化が進み、様々なジャンルの番組が放送されるようになりました。特にバラエティ番組やドラマが人気を集め、その後のテレビ業界の発展につながりました。

ビデオテープの普及:1974年には家庭用ビデオテープの普及が始まりました。これにより、テレビ番組や映画を自宅で録画・再生することが可能となり、視聴者の生活スタイルに大きな変化をもたらしました。

これらの文化的な発展は、現在の日本のエンターテイメント産業やポップカルチャーの基盤を築きました。マンガ・アニメ、キャラクターグッズ、多様なテレビ番組の存在は、日本の文化的な魅力を国内外に広める役割を果たしています。また、ビデオテープの普及は、後の映像メディアの進化やストリーミングサービスの台頭にも繋がっています。

ネットの普及から今ではAI時代に進んでいる母親達はものすごい
変化の中で70歳を迎えているんですね。
70年間お疲れ様、これから自分の時間を大事に、健康で楽しく明るく
旅行や友達と楽しい日々を過ごしてもらいたいものですよね


Keytailの猫ちゃんリングは顔部分の宝石をお母さんへの想いを込めて変更可能なものもあります。
キティちゃんが好きだった→白系の宝石
昔飼っていた猫ちゃんの目の色→黄色や茶色系の宝石

宝石探しから一緒にお手伝いします。お気軽にお問い合わせ下さいね