2023/05/03 09:00

遥か昔から愛されてきた翡翠、その魅力や歴史についての話です

艶のある深緑色がオリエンタルな魅力を醸し出している翡翠(ヒスイ)。
※ここでは漢字の「翡翠」と記載します
翡翠はなんと他のジュエリーと違い、身に着ければ身に着けるほど美しく
なる宝石と言われています!!
それはなぜなのでしょうか?
アジアでは特に人気が高く、日本とも深い関係性をもつ翡翠の魅力を、
その特徴や歴史からひも解いていきましょう。

翡翠の魅力をざっくりまとめました
1 美しい色: 翡翠は、深い緑色や青緑色が特徴的で、独特の色調を持っています。また、稀に白や紫色のものもあります。

2 硬度が高い: 翡翠は、硬度が高く丈夫で、傷がつきにくいため、長期間の使用にも耐えることができます。世界4大貴石(ダイアモンド ルビー サファイア エメラルド)と同じようですね

3 加工がしやすい: 翡翠は、軟らかい石材に比べて比較的加工がしやすく、細かい模様を彫刻することができます。

4 伝統的な装飾品の素材: 翡翠は、古代から多くの文化や民族に愛され、装飾品の素材として広く用いられてきました。また、特に中国や中央アメリカなどでは、神聖な石として崇められ、幸運や長寿、健康をもたらすと信じられています。

5 精神的な意味合い: 翡翠には、穏やかなエネルギーがあるとされ、ストレスを和らげ、心を落ち着かせる作用があるとも言われています。

これらの魅力から、翡翠は宝飾品や工芸品などに広く用いられており、高い評価を受けています。


ー日本の翡翠の歴史ー
約5,000年前の縄文時代中期に糸魚川で縄文人がヒスイの加工を始めました。これは世界最古のヒスイと人間の関わり(ヒスイ文化)です。
日本の宝石の歴史はここから始まったと言っても過言ではないです
 その後、弥生時代・古墳時代を通じてヒスイは非常に珍重されましたが、奈良時代以降は全く利用されなくなってしまいました。そのため、糸魚川でヒスイが採れることも忘れ去られ、日本にはヒスイの産地はなく、遺跡から出るヒスイは大陸から持ち込まれたものと昭和初期まで考えられていました。

ー詳細ー
縄文時代中期には大珠(たいしゅ)というペンダントのようなものが製作され、日本各地で取り引きされるようになった。
弥生時代になると、勾玉や管玉の製作が盛んになった。8世紀頃の伝説によると、現在の福井から新潟にかけて「越(こし)」という古代国家があり、不思議な緑色のヒスイの彫刻を身に着けた美しい姫が国を治めていたという説があります。
古墳時代 (紀元3~7世紀)中期から後期にかけて衰退し、6世紀頃には姿を消してしまう。

奈良時代以降、日本のヒスイは歴史から姿を消しており、ミャンマー
でしか翡翠は採掘できないとされ、日本の古代ヒスイの宝石も大陸から持ち込まれたものとされていました。

1938年(昭和13年)、ヒスイの探索を行っていた伊藤栄蔵氏により糸魚川市の小滝川で日本のヒスイが再び発見。日本にも古代から翡翠文化が続いていたという説を裏付けました。

2016年9月、日本鉱物科学会は糸魚川のヒスイを「日本の国石」に選定。

ー糸魚川ヒスイ発見の話ー
昭和13年(1938) 夏前、糸魚川の偉人・相馬御風が知人の鎌上竹雄さんに、昔、糸魚川地方を治めていた奴奈川姫がヒスイの勾玉をつけていたので、もしかするとこの地方にヒスイがあるのかもしれないという話をしたそうです。
鎌上さんは親戚の現在の糸魚川市小滝に住む伊藤栄蔵さん にその話を伝え、伊藤さんは地元の川を探してみることにしました。

8月12日、伊藤さんの住む小滝を流れる小滝川に注ぐ土倉沢の滝壷で緑色のきれいない石を発見しました。
一人の人の「もしかしたら」からヒスイが発見されたんですね。
これも翡翠の魅力によるものに感じます


万葉集に読まれていた翡翠
沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)は、日本神話に登場する神様です。古事記には、糸魚川市付近を治めていた豪族の娘、奴奈川姫に大国主命が出雲から求婚。その際に翡翠を贈ったという神話が残されています。今のプロポーズリングそのものですね!!

実際に大国主命を奉った出雲大社の真名井遺跡からは、糸魚川産と見られる大きな勾玉が出土しています。

「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」
(万葉集 巻十三 三二四七 作者未詳)
『万葉集』に詠まれたこの歌の、「渟名河」は現在の姫川で、
その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられています。


ー翡翠とはー
●ヒスイを構成する鉱物
ヒスイはダイヤモンドやルビー、エメラルドなど単一の鉱物できている宝石とは異なり、さまざまな鉱物が集まって出来ています。
ヒスイのほとんどの部分はヒスイ輝石きせきという鉱物からできていますが、濃緑色の部分は、オンファス輝石という鉄やマグネシウム、カルシウムを含む鉱物に近い組成を持っていることが分かってきました。
その他、曹長石やぶどう石、方ほう沸石、ソーダ珪灰石、チタン石やジルコンなどが含まれることもありますが、石英は含まれません。

●二種類のヒスイ(硬玉=ヒスイ)
これまヒスイ(ジェイド)は、硬玉(jadeiteジェイダイト)と
軟玉(ネフライト)の2種に分けることができると書いてありました。
一般的に宝石店で販売されているヒスイは硬玉の方で、価格的には硬玉の方が高価です。宝石店に行って「ヒスイを見せて下さい」と頼んだとします。店員さんは「硬玉と軟玉のどちらにしましょうか?」などとは言いません。このようにヒスイと言えば普通は硬玉のことを意味しています。

硬玉という呼び方はほとんど死語で、多くの分野では単にヒスイと呼んでいます。一方、軟玉(ネフライト)の方は宝石や考古の分野など広く使われています。

日本では太古の昔からヒスイ輝石からできている硬玉と、角閃石(透閃石、透緑閃石)からできている軟玉をきちんと区別していましたが、欧米はそうではありませんでした。明治時代に欧米の科学が日本に輸入され、地質学の近代化か進められたとき、硬玉と軟玉の区別があいまいだった欧米の見方が導入されてしまったのです。
欧米では硬玉と軟玉の混同されがちで、場合によっては緑色をした緻密な石はみんな"Jade"になってしまっているようです。

翡翠についてはまた続きがありますので次回また更新します